皆様に大切なお知らせがあります。
私、こまざき美紀は4月23日投開票の北区長選挙へ向けて活動することを決意し、昨日、東京都庁にて記者会見を行いました。
10名以上の報道関係の方、応援してくださる方が駆けつけてくれました。
どうもありがとうございます‼️
行政経験15年間の中で、税務、入札の財務関連部署、障害者福祉にも携わりました。
子育てNPO勤務を経て、区議会議員へ。
区議として活動し、任期中4年間で、850件以上のご相談に対応してきました。
解決できたこともあれば、そうでないこともたくさんありました。
想いと重点政策について、まずは皆様に知っていただきたく、ここに掲載いたします。
なお、文章は読みやすくカットしてあります。
ぜひ、ノーカット10分の会見動画をご覧ください!
🌸YouTube動画はこちら👇
一人でも多くの方に想いが届きますように。
【出馬への想い】本日掲載
【重点政策】後日掲載
・・・・
<前略>
(一区民として様々な地域をよくする活動をしてきましたが)
変えられるのは私の周辺に止まり、区全体として良くはならない。
北区全体をなんとかしたいという思いを持つに至ります。
そこで安定した公務員の職を辞し、2019年北区議会議員選挙に初当選、北区史上最多得票という身に余るご期待をいただきました。
そして私が区議会議員となってから、日頃感じていたこと、寄せられたご意見に一つ一つに向き合い、解決に向け身を粉にして取り組み、着実に実績を積み上げて来ました。
これまで議会での一般質問は15回全て登壇、日々SNSやブログでの情報発信も行い、当選後も駅に立ち、商店街や町中を足で周り、顔が見える活動を続けてきました。
皆様のお声をもとに政策を立案するため、北区全域でアンケートやタウンミーティングも実施し、常に皆様のお声を聴くことを大切にしてきました。
情報発信に尽力する中で、必然的に多様な区民の方々からお声を寄せていただく機会が増え、任期中の4年間で850件以上のご相談に対応してまいりました。
例えば、
・行政版ベビーシッターサービスであるファミリーサポートが、サポーター1人につき、子ども1人しか預かれなくて、きょうだいがいる家庭がほぼ使えなかった問題。これに対し、きょうだい預かりを可能とすることに成功しました。
・また、産前産後の安心ママヘルパーというサービスに料理を頼んでも火を使えない、洗濯を頼んでも洗濯機のスイッチを入れられない、というおよそ信じられないぐらい使い勝手が悪かったことを是正しました。
・さらに、待機学童問題に関しては、学童増設のみならず、放課後子ども教室という学校で子どもを預かる事業で、特例的に子どもを学童と同じ時間だけ預かれるようにルールを新たに創ってもらうことに成功しました。
・視覚障害者の方からの要望を受け、王子駅前の音響式信号機の音楽が流れる時間がそれまで20時までだったのを、22時までにし、これまで騒音で音が聞こえなかった音量を、上げてもらうことにも成功しました。
・加えて、交通事故が多発する箇所に路面表示を付けたり、長年薄暗いトンネルにLED照明を設置したりという細かい道路改善はおよそ40件、行ってきました。
このように幾つもの、区民の暮らしに直結した小さな改革・改善を行うことができました。
しかし、「このままではいけない」と強く感じるようになってきたことも、また事実です。
なぜか。
例えば、北区の観光スポットでもあり、人情のまちとして愛されている赤羽の再開発の問題があります。
赤羽一番街、OK横丁という赤羽を象徴するスポットに、タワーマンションを建てる、という再開発の検討が進められています。
民間団体が主に地域住民や現地の方を対象として行った500名以上のウェブと紙媒体でのアンケート結果によると、
6割以上が
「あまり知らない・全く知らない」
そしておよそ8割が
「早い段階で住民の意見を聞くべき」「行政が関わってデベロッパー任せにするべきではない」
とのことです。
ですから、北区はもっと地域住民の声を聞き、情報公開と対話をベースにした開かれたまちづくりを進めていかなくてはなりません。
しかし、区の対応が不十分で、なかなか開かれた検討ができていません。
ここで、いち区議の限界を感じました。
また、例えば、不登校の問題です。
今北区には400人以上の不登校の子どもたちがいます。
しかし、適応指導教室に通うことができているのは、その約10分の1に過ぎません。
「昼間外で遊ぶと「なんで学校行かないの」と言われてしまうため、夜の人のいない公園で遊ぶしかない」とある親御さんは言っていました。
そこで、適応指導教室に支援の専門家を入れよう、適応指導教室以外の居場所づくりをしよう、付き添い支援員の周知をもっとしよう等、さまざまな提案を行ってきました。
が、しかし、なかなか区を動かすことができませんでした。
ここでもいち区議の限界を感じました。
さらに例えば、高齢者の介護予防の話です。
区が行っている体操教室が5ヶ月で終わってしまう問題です。
終わってからは、自主的にやってください、という仕組みなのですが、
それでは会場予約や費用の問題でなかなか続かない、という状況でした。
あるおばあさんがおっしゃっていました。
「コロナ禍でどこにも出かけられていなかった。ここに来るのを、楽しみにしている。運動だけじゃなくて、みんなの顔を見て、おしゃべりできるのが、本当に楽しみ」
そこで、区が期間終了後の金銭的支援や会場予約サポートなどを行って、孤立する介護予備軍の高齢者対策をしていこう、と訴え続けてきました。
しかしこれも、区を動かすには至りませんでした。
いち議員の無力さを思い知りました。
また、例えば、医療的ケア児の問題です。
今年4月からようやく医療的ケア児を受け入れる保育園が開設されます。
医療的ケア児のお母さんお父さんたちは、飛び上がらんばかりに喜びました。
しかし、役所からの文書を見て愕然としました。
「5歳まで安定して通うことができないと入園はできない」
「常時介護できる職員はいない」
これでは、体調の安定しない医療的ケア児は、通うことはできません。
そこでお母さんたちは役所に要望書を出したり、区の職員と意見交換会を開いたりしました。
私はそこに参加しました。
帰りがけに、あるお母さんが言っていました。
「自分は働き続けたいし、我が子にみんなと同じ保育の経験をさせたい。欲張りだけど・・・」
私はその時、涙を堪えました。
そんなのちっとも欲張りじゃない。
親が働きたい、子どもに保育経験をさせたい、と思うのは、欲張りじゃなくて、当たり前のことです。
私もお母さんたちと北区に働きかけ、要望により条件は緩和されたのですが、そのお母さんは結局、保育園に通わすことを断念しました。
悔しい。
私にもっと力があったら、もっと多くの人を、助けられるのに。
今話した4人の方々の話は、ほんの一例に過ぎません。
もっとたくさんの方々が、悲しい思いを、悔しい思いを、生きづらい思いを抱えています。
でも、社会が、北区行政が、ほんの少し勇気を出して、今ある仕組みを変えて、手を貸せば、彼ら彼女たちは、可能性を開くことができます。
もっと楽しく、幸せに生きることができます。
私は、変えたい。
今の仕組みを。
ほんの少しの勇気を出して。
今、悲しい思いを、悔しい思いをしている人たちの力になりたい。
そのためには、区長になって、変化を生み出したいと思うのです。
北区初の女性区長に。
これまで可能性を制限されてきた女性たち、母親たちにも、勇気を手渡せるかもしれません。
何よりも、子どもたち。
私には小学生の子どもが2人いるのですが、あの子たちの世代に、今よりも素敵な、今よりもワクワクする、今よりも困っている人たちに優しい、そんな北区を、地域社会を、バトンのように手渡したいと思うのです。
そのために、勇気を出して手を挙げたいと思います。
どこか大きい政党の支持があるわけではありません。
どこの党からの公認も推薦も、依頼するつもりはありません。
それは、区民1人1人に寄り添った、耳を傾ける政治がしたいからです。
無謀かもしれません。
怖くもあります。
でも、私は勇気を振り絞って、挑戦したいと思います。
私には、15年の行政経験、区民に寄り添い、耳を傾けてきた経験があります。
どうすれば公務員の皆さんが、やる気と知恵を出せるか、知っています。
私には、NPOの経験があります。どうすれば、民間の心ある方たちが、区民のために動いてくれるか、知っています。
私には、応援してくれる、心あるママ友パパ友、地域の商店街の方々、高齢者の方々がいます。
そうした、普通に暮らす人々と手を繋ぎ、あらたな北区を創っていきます。
まずは、想いをお伝えいたしました。
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最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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