未来を担う子どもたちと親が、
自分らしくのびのびと自己実現をし、
諦めないで活躍できる地域社会を創りたい。
2003年戸田市役所入職
障害福祉課(医療費助成、障害者手帳など)、コミュニティ推進課(市民活動、NPO担当)、税務課、入札検査課
「人のためになる仕事がしたい。誰もが暮らしやすい街づくりに携わりたい。」そんな想いから公務員を志望し、市職員として職務に当たりました。
2013年 地域団体「北区はたらくママ★ネット」設立 代表に。
産後、体のダメージが大きかった中で24時間体制の育児。生活すべてが一転し、「私」について考え、言葉にする機会がなくなったことから、産後うつぎみになる。
そのようなママを増やさぬよう、さまざまなテーマを設けたワークショップ(語り場)を開催。その他、子育てに役立つ講座等も開催。
2018年 戸田市役所退職
もっともっと地域社会に関わり、地域をよくする活動を広げたい!
15年間務めた市役所を悩みに悩んだ末、退職。
地域活動を更に拡大し、地域の課題により向き合うべく、子育て支援のNPOに勤務。
2019年 北区議会議員
史上最多の7335票を賜り、トップ当選を果たす。
2023年 北区長選挙
2023年 北区長選挙 41,095票を賜り現職を破るも次点惜敗
資格
・中学校教諭一種免許 理科
・高等学校教諭一種免許 理科
・中学校教諭二種免許 家庭科
・乙種第4類危険物取扱者
・保育士
・青山学院大学学校教育法履修証明プログラム終了認定ワークショップデザイナー
せっかくの育児中なのだから、もっと育児について学びたい。第一子育休中に独学し保育士試験に臨みました。
好き
好きなこと 歌
高校時代から第一子妊娠前までバンドのボーカルをしていました。
大学時代は、フジテレビ系列福島テレビ「弦哲也のカラオケグランプリ」で10人勝ち抜きチャンピオンになり、副賞の海外旅行を祖父母にプレゼントしました。
好きな食べ物 餃子 焼肉
餃子の食べ歩きもします。
2010年生まれの女子と2012年生まれの男子のママ
毎日、育児に仕事に奮闘中です。
駒崎美紀のこれまで
幼少期
ごく普通の核家族に生まれました。バブルが崩壊して父の勤める祖父の会社が倒産し、お金の面で大変苦労したそうです。それでも父母は一生懸命働き、私たちに不自由ない生活をさせてくれました。父は今でいう“イクメン”。毎日、父は早く帰ってきて、子どもをお風呂に入れていました。

小学生時代
元気いっぱいな子どもでしたが、3年生頃に小児喘息発症。体育で見学することもしばしば。遠足の登山は途中まで車移動。夜中の発作で、よく親に病院に連れて行ってもらいました。両親には、とても苦労をかけました。育ててくれたことに心から感謝しています。
歌が大好きで特設合唱部に所属。毎日、友達と大声で歌いながら下校したのを思い出します。

中学時代
これまで自分に全く自信がなかった私。でも、熱心に生徒に関わってくれた恩師との出会いにより、自己肯定感を高めることができました。その先生との出会いで、「先生という職業は人の人生を変えることができるんだ!自分もそんな先生になりたい!」と思い、教職を目指すことにしました。

高校時代 福島県立安積女子高等学校
一番の思い出は、文化祭の出し物で「ミキwithスーパーダンサーズ」を結成したこと。大学受験の高校3年生でみんな多忙な中、夏休みに学校に集まって練習したり、「もう無理だよ、やめよう」って仲間に言われたりしながら、それでもなんとか「安室奈美恵withスーパーモンキーズ」を形にしました。友人にも恵まれ、本当に楽しく充実していた女子高時代。

大学時代 福島大学教育学部 中学校教員養成課程理科
自然が大好き!沼の中に入って研究材料のカゲロウを採取したり、電子顕微鏡で観察したり。やっぱり歌は大好きで大学でもバンドのボーカルをしていました。
そして、フジテレビ系列福島テレビ「弦哲也のカラオケグランプリ」10人勝ち抜きチャンピオンに。鬼塚ちひろさんの月光を歌いました。副賞の海外旅行は、いつも私を可愛がってくれた祖父母にプレゼントしました。

戸田市役所に約15年間勤務退職し、独立
役所勤務に地域活動に育児に・・・。
ハードな日々を過ごすなかで、改めて考えました。
より地域社会のために、そして、自分が人のためにできることに、もっと力を注ぎたい。
断腸の思いで市役所を退職。
これまでの活動の中で、“現場こそが一番地域課題に近い場所、一番初めに課題を発見する場所で、とても大切”ということを身に染みて感じました。
そのため、地域課題を事業で解決するNPO法人で業務を請け負い、その手法や機動性、柔軟性を学ぶことで、これからの自分の活動に生かしていきます。

故郷ふくしまへについて
市役所在職中、第一子の育休中に起きた東日本大震災。故郷福島とそこに住む家族・友人たちが心配でならず、眠れない日々を過ごしました。
食料・水、ガソリンが乏しくなり家族が那須塩原駅から命からがら新幹線で上京し、しばらく同居したのを覚えています。生きていることに感謝するとともに、後悔しない人生を送ろう、そう思いました。そして、故郷福島には、今も継続してふるさと納税や旅行をすることで、復興支援を続けています。

日々の子育て

子どもたちは喘息気味で、一度風邪をひくと一週間は保育園をお休みすることもしばしばでした。
仕事と育児の両立には、本当に苦労しました。
職場の方々の理解や夫の協力、病児保育や民間のサービスに頼りながら、なんとか乗り越えてきました。
でも、子ども達との時間はとても楽しく、私にたくさんの学びと気づきを与えてくれます。地域の課題を解決したいと思うきっかけになったのも、育児を通した普段の生活からです。

(右)滑り台:ヤンチャすぎる子どもたちの育児は体力勝負!楽しみながらやっています。
