「アンタが嫌いだ」と言われても、この仕事を続けられるのか

「アンタは現場をわかっていない。
子どものことを考えていないし、子どもがかわいそうだ。
いつも上から目線なアンタが嫌いだ。」

 


先週、区民からお叱りを受けた。

 

(ブログにあげるか本当に迷ったのだけれど、自分1人で抱えきれず、恐る恐るあげてみる。後で消すかも。)

 

親が負担に思っていることを「負担だ」と声を上げることは、子どもにとって「かわいそう」なことであり

 

子どもは親の手作りでなければ、愛情が満たされず、それもまたかわいそうなのか?

 

しばらく悩んだ。

 

例えば学童クラブの宅配弁当も、保育園のシーツやカバーといった手作り製作物も、様々な家庭環境・状況がある中で、手作りでなくて済む選択肢があることは追い詰められている保護者を救う。

 

そして、子どもと過ごす時間を増やすことができる。

 

でも、いろいろな考え方があるから
「子どもがかわいそうだ」
と批判されるのも仕方ない。

 

受け止める。

 

それでも同じ子を持つ母から、目の前で
「アンタが嫌いだ」
と何度も言われるのは、正直、辛い。

 

これまでを振り返っても「バカ」と目の前で罵倒されることもあった。

 

性的な嫌がらせのお手紙が届くこともあったし、根も葉もない嫌な噂を立てられることもあった。

 

区民にできるだけ区政を身近に感じてもらえるようにと、情報発信を頑張れば頑張るほど、多くの方に喜ばれる反面、嫌に思う方も出る。

 

いっそのこと情報発信をやめてしまえば、どんなに楽だろうか。

そう思う。

 

すごく傷ついたし、落ち込んだ。

 

「議員である前に、私も人間だから、そんな気持ちも仕方ないだろう」

 

と電車の中であれこれ考えていたら、降りる駅で席を立つのを忘れてしまっていた。

 

ふと我に返る。

 

 

「この仕事、何のためにしているんだろう?」

 

 

15年続けた安定した公務員という職を捨て
暑くても寒くても駅に立ち、道ゆく区民の方々に政策を訴えてきた。

 

大きな組織の後ろ盾もなく
やっとの想いで議員になった。

 

それは、自分のように産後うつで苦しむ母をなくすために。

 

現場の「支援」が、支援とは呼べないほど乖離しているおかしな状況を変えるために。

 

大好きな子どもたちのために。

 

とにかく声を聴いて、調べて、専門家にもアドバイスを受けながら、政策につなげてきたつもりだ。

 

声が届きにくい小さな声こそ、解決に向けて取り組むことで、みんなが暮らしやすい優しいまちになると信じている。

 

日の当たりにくい障害児や発達障害の特別支援教室の課題、不登校、いじめや自殺の課題にも、皆さんと共に取り組んできた。

 

そしていくつかは、変えることができた。

 

喜びを分かち合ってきた。

 

「あなたがいてくれたから、やっと変わった」
「心が震えた。ありがとう。」

 

と言っていただけることもあり、
この仕事をして良かった
と心から思った。

 

でも、そんな心をズタズタにされる言葉を投げかけられてまで、私はこの先、この仕事を続けられるのだろうか。。。

 

我が子の前で、泣いてなんかいられない。

 

平静を装うけれど、私が落ち込んでいることに気づき、左右思いっきり違う靴下を履いて出かけようとして笑わせる息子に勇気づけられる。

 

今日もまた誰かの「SOS」が届く。
自分の弱い心に、負けてはいられない。

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